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前原停車場線

前原停車場線 / 福岡,日本

 Street Design for Maebaru

2006年春完成

 

*信号柱

*舗装

*車止めのデザイン

道路拡幅にあたり、住民とワークショップを行い、道のあり方や方針についての話し合いが行われた。その内容に従い、信号柱、照明器具などのデザイン化を行った。

 

For this street expansion project, citizens' workshops were held to plan design direction and amenities. By following their plan, we implemented designs into

concrete elements such as signals, lighting, surfaces.

 

    橋の仕事でお世話になった福岡県の役人から、住民とともに道路をデザインする試みのアドバイザーになってくれと頼まれた。もちろん私は道路を設計したことはなかった。土木の仕事は大抵「初めて」のものばかりだ。だが、橋をはじめいくつかの土木の仕事に関わったおかげで、道路に提案するべきことの方向性は、ぼんやりとではあるが見えていた。しかし始まってみると、この仕事は思っていたよりもずっと大変だった。巻き込まれた人たちの温度差が大きかったからである。

     計画は、JR筑前前原駅の正面に続く道路の約300mを、幅員6mから18mに片側拡幅し、両側に4mの歩道をつくる内容だった。県の担当者は、これからの道路整備は住民を巻き込みつつ一緒に行うべきだと考え、住民を中心とする「まちなみ懇談会」を立ち上げた。そこにアドバイザーとして呼ばれたのが、九州大学の樋口明彦助教授と私である。懇談会では大まかな方向性を話し合い、具体的には街路樹を植えるかどうか、舗装はどんな材料を使うか、ガードレールを設置するかどうか、夜間の照明はどうするかなどを決める目的で、二ヶ月に一度程度、約二年間行われた。

 

    コンサルタントの西日本技術開発に、資料や40分の一の巨大模型をつくってもらったり、それに樋口先生と私がコメントを加えたりしながら、住民は学びつつ話し合いを重ね、決めていく流れであったが、議論はたびたび紛糾した。街路樹を植えるかどうかでさえ、「植えよう、皆で手入れをしよう」という前向きの意見と、「自分の家に葉が落ちてくるのが嫌」という自分勝手な意見とが対立、まるで日本昔話の「いい爺さんとわるい爺さん」を目の前で見ているような局面が続発したのである。そのなかでアドバイザーは、道をどうとらえるべきかに言及する役目を負ったのであった。「街路樹を植えないならそれはそれで構わないが、そんな自分本位の判断で本当にいいのか、子孫に手渡す公共空間に責任をとれるのか」を問うという役目である。結局彼らは植えるという判断をした。それだけでなく、工事のためすでに移植されていた、大きな、そして無残に枝を落とされてしまっていた楠の木を植え戻す決断をしたり、インフラ事業者と話し合って地上機器の数を減らしたり、さまざまなことに向かい合っていったのであった。そしてそれを通して、この道の空間のイメージについて、方針を固めていった。

 

    アドバイザー業務が終わった後、私はプロのデザイナーとして、その方針をデザイン化する仕事を受け持つことになった。舗装、信号機、フットライト、地上機器の防護柵、ツリーサークルなどに、色、素材を統一した言語を用いてデザインしていった。せっかく街路樹を植えることになったので、それに応えるべく街路樹の根元の環境をよくしようと、透水性の視覚障害者誘導ブロックを開発してもらった。また舗装に厚さ50mmもの自然石を採用し、さらに地下への水の浸透を考えて、その下にコンクリートを打たずに砂締めで施工する試みも行った。住民を交えて、現地で照明実験も行った。

 

    完成後も半年に一度、現地を見に行くことにしているのだが、とてもうれしく思っていることがある。歩道に花がたくさん飾ってあるのだ。住民の女性有志の方々が中心となって、近くの農業高校の学生が育てた花を買ってきて植え、手入れをされている。その活動のキーパーソンが、完成後数年して「やっと松岡さんたちが言っていたことがわかった。おしゃべりをしたり、ベンチに座ったり、そういうコミュニケーションの場が道なのね。」と言われた。もちろん街路樹に水をやることも忘れない。こんなことがあった、あんなこともしたいと私に相談もしてくれる。この道をとおして、私もあの場所に、そして人々に繋がっていると感じるのである。

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